青林書院



感染症と憲法


感染症と憲法
 
編・著者大林 啓吾 編
判 型A5判
ページ数284頁
税込価格3,850円(本体価格:3,500円)
発行年月2021年03月
ISBN978-4-417-01808-7
在庫有り
  
在庫があります

■解説
コロナ禍を素材に憲法の視点から感染症問題を考察!

●リスク社会の立憲主義を念頭に,国家と公衆衛生の関係を探り,自由と安全のバラン
 スのとれた感染症対策のあり方を検討。感染症法制を考える際の基盤となる研究書!


はしがき
 2020年3月11日にWHO が新型コロナウイルスのパンデミックを宣言して
から約1年が経つ。今後は,ワクチン接種により,多少なりとも改善するので
はないかという期待が寄せられている状況にある。
 もっとも,ここまでの道のりは平たんではなかった。日本では,2020年4月
に新型インフルエンザ等特別措置法上の緊急事態宣言を出すか否かで,発令に慎
重な国(政府)と発令を求める地方自治体との間で見解が分かれ,しびれを切ら
した一部の地方自治体が独自の緊急事態宣言を発令するに至った。4月7日の国
の緊急事態宣言発令後,外出自粛や営業自粛などの要請が相当の効果をあげたが
,一部に従わない者がいたことから,同調圧力の問題が生じたり,強制力を付与
するように法改正すべきとの声が上がったりした。その後,いったん状況が改善
され,5月には緊急事態宣言が解除されたものの,第2波や第3波により,一進
一退の状況が続いた。政府はGo ToTravel やGo To Eat などのGo To キャンペ
ーンを推進していたが,これを停止するかどうかについても物議をかもした。
10月には感染者数が10万人を突破し,日本医師会はGo To キャンペーンの停
止を求め,世論も停止に傾いていたが,政府はGo To キャンペーンと感染増加
との因果関係が定かではないとし,地方自治体の判断に委ねる姿勢を示した。
これに対して地方自治体は責任を押し付けられることを嫌い,国が判断すべきと
して反発した。
最終的には両者の協議によって一時的に停止するに至ったが,医療がひっ迫し,
再び緊急事態宣言を発令すべきではないかという声も上がった。一方,12月に
入るとイギリスやアメリカでワクチン接種が始まり,日本も2021年の前半には
ワクチン接種が始まる見通しになっている。
 以上は一部をかいつまんでコロナ禍の流れを振り返っただけであるが,それだ
けでも新型コロナ対策が難しい問題であることがわかる。そしてそれは諸々の憲
法問題をはらんでいる。すなわち,国家の公衆衛生維持の責務の問題,緊急事態
宣言発令の問題,規制態様と権利の問題,国と地方の関係の問題など,様々な憲
法問題を惹起しているのである。
 マクロ的視点からみれば,感染症が惹起する憲法問題は自由と安全の一断面と
いえる。すなわち,生命や身体の安全を目指す感染症対策とそれによって制約さ
れる自由との関係をどのように考えるかという問題である。ただし,コロナ禍は
従来の自由と安全の対立構図とはいささか異なる様相を呈している側面がある。
 それは,自由と安全を追求する主体において顕著である。日本では,政府が厳
しい新型コロナ対策には消極的であり,むしろ経済活動や人の移動を重視し,
強制力を加える法改正には慎重な姿勢を示してきた。それは結果として営業の
自由や外出の自由を重視することになり,安全よりも自由を優先するスタンスを
とったといえる。一方,地方自治体や世論は新型コロナ対策の厳格化に肯定的
であり,強制力を辞さない態度であったように思える。
 かかる状況は日本だけでなく,一見するとアメリカなどにおいても似たような
状況が創出されていた。トランプ大統領は新型コロナ対策よりも経済重視の姿勢
を崩さなかったのに対し,人口が多い州や地方自治体はロックダウンに踏み切り
,それに賛同する市民も少なくなかったからである。自由と安全という観点から
みた場合,これは従来とは異なる構造になっているようにみえる。戦争やテロと
いった問題に直面したとき,これまでは政府が安全対策を積極的に行い,それに
よって自由を制限される市民が反発するという構図が一般的であったからである
。もっとも,アメリカの場合は保守とリベラルというイデオロギーの違い,州の
役割,ロックダウンの実施という側面からみれば,一応の説明がつく。たしかに
,緊急時において安全を重視する保守派と緊急時においても一定の自由を確保し
ようとするリベラル派という構図からすると,今回の状況は異例のようにみえる。
しかし,保守派はもともと小さな政府を標榜し,リベラル派が大きな政府を目指
すという点に着目すると,前者が新型コロナ対策に消極的で,後者が積極的であ
ってもおかしくない。また,連邦制をとるアメリカでは州が感染症対策に関する
権限を持つ。そのため,州が積極的に感染対策を行うのは当然のことであり,複
数の州がロックダウンを行うなど,強制的に営業,外出,集会などを規制した。
そのため,結果的には公権力(州)が安全のために自由を制限したという点では
従来と変わらない。実際,アメリカでは市民がロックダウンに対して訴訟を提起し
ており,古典的な自由と安全の対立の構造を創出している。
 一方,日本はこれとはやや異なる状況にある。政府は緊急事態宣言の発令に消
極的で,また2020年の間は強制的措置を含めた法改正にも慎重であり,実際に行
った新型コロナ対策も自粛要請というソフトな手法だったのに対し,地方自治体
や市民からはより厳しい措置を求める声が上がり続け,古典的な自由と安全の対
立とは異なる様相を呈している。
 安全保障が国の責務であることからすれば,それが不十分な場合に,市民が適
切な対応を求めるのは自然なことである。しかし,ここでは市民自らが強制力の
行使による自由の制約を望んでいるような形になっており,国家権力に対して懐
疑的姿勢を貫いてきた立憲主義にはそれに対する応答が迫られることになる。
こうした状況につき,公権力に対峙する強い個人像から外れるとしてそれを問題
視するか,政府の誘導に慣れきった現代社会の弱い個人を想定して強制的介入を
も積極的に受容するか,個人やコミュニティによる自主的な公共秩序を形成すべ
きという観点から公権力の介入に否定的なスタンスをとるか,市民自らが望む場
合に限り国家の強制力発動を肯定していくか,それともやはり現代における立憲
主義像をあらためて模索するかなどいくつかの回答が考えられるが,現時点にお
いて確かな答えが提示されているわけではない。
 リスク社会を迎えた現代においては自由と安全の両方が必要であることからす
れば,近代立憲主義のように常に権力統制のみに焦点を絞るのではなく,自由と
安全の調整をはかることが必要である。つまり,自由と安全の関係をトレードオ
フで捉えるということである。これについては安全の利益が大きくなるがゆえに
自由が優先される可能性が低くなるのではないか,さらにはゼロサムの結果とな
るがゆえに安全が優越した場合には自由が回復不可能なダメージを被るのではな
いかという点が懸念される。しかし,トレードオフで考えるからといって,その
得失の対比や計算が必ずしも安全優位になるわけではない。得失の対比は新型コ
ロナ対策による生命の安全とそれによって制約される自由との対立という形にな
るが,しかし,その調整は両者の利益を生のまま天秤に乗せて判断するわけでは
ない。そこにはリスク計算が必要である。すなわち,〈損害発生確率×損害の大き
さ〉である。そのため,安全の利益が大きくなる傾向があっても,損害の発生確
率が低ければ優先される可能性は低くなり,また損害の大きさについても長期的
視点からみた利益を含めれば自由が被る損害の程度は必ずしも常に小さいわけで
はない。ただし,緊急時においてはやはり安全の利益が高まることが予測される
ことから,たとえその問題については安全を優先する形になっても―その意味で
はゼロサムである―統治プロセスの維持などについては墨守する必要がある。
 また,リスク社会はリスクの循環に耐えうる憲法秩序を要請することから,三
権のいずれもがリスク対応の責務とそれによって生じるリスクの責任を負うこと
になり,近代立憲主義が憲法保障のコアと位置付けてきた司法審査のみならず,
全体的な視野から統治構造を見つめ直す必要がある。そのため,コロナ禍の問題
については,感染症対策に関する法制度のあり方や対策によって被った損害に対
する救済のあり方を検討することが不可欠となり,またコロナ禍において実際に
生じた憲法問題を考察する必要がある。
 そこで本書では,コロナ禍を素材にして,憲法の観点から感染症問題を考察す
る。第1章は,リスク社会における憲法秩序のあり方など総論的なテーマを扱い
ながら,歴史的に公衆衛生がどのように維持されてきたのかを振り返り,国家が
公衆衛生維持の責務を負っていることを明らかにし,それに関する法学的分析と
して公衆衛生法学の必要性を提示する。第2章では,日本の新型コロナ対策を概
観しつつ,制度上の課題や緊急事態宣言の問題を取り上げる。第3章では,アメ
リカとフランスの感染症予防モデルを考察し,その意義と課題を考える。第4章
は,隔離制度について歴史的展開を踏まえながらその連続する面と転換した面を
明らかにし,現行制度の特徴を描き出す。第5章は,緊急時の流言やデマについ
て法制度や調査など法社会学的アプローチを用いながら,その実態を考察する。
第6章は,パンデミック時における選挙の問題を取り上げ,選挙日の延期,郵便
投票への転換,郵便投票期日の延長などの問題を考える。第7章では,コロナ禍で
話題になったマスク着用の問題を取り上げ,マスクの機能を考察しながら,その着
脱規制の是非について検討する。第8章では,コロナ禍の際に憲法改正による緊急
事態条項の創設を求める声があったことから,その必要性について検討する。第9
章では,日本の新型コロナ対策をもとに,憲法の観点からそれを考察し,その意義
と課題を考える。
 本書はコロナ禍を素材に検討するものであることから,その内容は試論的側面が
強く,なお検討の余地がある点も少なくない。他面,これまで十分に検討されてこ
なかった領域であるがゆえに,従来の枠に捉われずに考察を試みるべく,憲法のみ
ならず,英米法,法社会学,法哲学の先生方にも本書に加わっていただいた。
本書が今後の感染症対策を考える上でわずかにでも貢献できる部分があれば幸甚で
ある。
 なお,コロナ禍をめぐる状況は日々変化しており,国や地方自治体の対応にも変
化がみられる。本書でも可能な限り新しい情報を反映させようと試みたが,どこか
で線を引かなければ章ごとに内容や情報にズレが生じてしまうおそれがある。そこ
で,本書で扱う対象範囲は,原稿の締切であった2020年10月末までを基本とし,
章によってはその後の校正作業において2020年12月末までの情報を取り込むこと
にした。そのため,本書は2021年以降の状況を対象に入れていない。この「はしが
き」を書いている2021年1月の時点で2回目の緊急事態宣言が発令され,また法改
正が進められている状況にあり,これらについても検討対象に含めたいところであっ
たが,今回はそれらを対象に含めていないことを断っておく。
 本書を編むにあたり,青林書院の留守秀彦氏には企画,編集,校正のすべての点に
おいて大変お世話になった。コロナ禍の中,感染症対策に留意しながら何度か打合を
行ったのは忘れられない思い出になりそうである。また,こうした中,本書の刊行に
快く応じてくださった逸見慎一社長にも厚く御礼を申し上げたい。
  
2021年1月22日   感染症法等の改正案が国会に提出された状況を注視しながら
編者 大林 啓吾


〔編 者〕
大 林 啓 吾(千葉大学大学院専門法務研究科教授)
  
〔執筆者(執筆順)〕
大 林 啓 吾(上掲)
西 迫 大 祐(沖縄国際大学法学部准教授)
溜 箭 将 之(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
森   大 輔(熊本大学法学部准教授)


■書籍内容
第1章 感染症の憲法問題

機.螢好社会の憲法秩序
供〃法と感染症対策
1 国家の感染症対策の責務と感染症対策の限界 2 日本国憲法における国家の感染症対策の責務 3 25条2項にもとづく新たな手法 4 権利救済
掘仝衆衛生法学
1 公衆衛生とは何か 2 日本の公衆衛生――前提的基盤 3 公衆衛生法学の内容 4 公衆衛生に関連する法
後  序
  
第2章 法制度の憲法問題
――新型コロナウイルスのケースを素材にして

機ヾ鏡症対策の法枠組
1 総合的枠組 2 新型インフルエンザ特別措置法 3 感染症対策のリスク
供/祁織灰蹈淵Εぅ襯垢離院璽垢繁\度上の問題
1 新型コロナウイルスの流行 2 この時点で露呈した課題
3 緊急事態宣言をめぐる諸問題 4 緊急事態宣言に関する課題
後  序

第3章 感染症予防の何が問題となるか
――アメリカ合衆国及びフランスにおける感染症予防モデルの
歴史的発展と問題点の考察
機.▲瓮螢合衆国における感染症予防モデルの歴史
1 古典的な予防モデル 2 公衆衛生法の組織化 3 豚インフルエンザ 4 HIV 5 バイオテロリズムとモデル法
6 安全保障としての公衆衛生 7 新型インフルエンザ 8 エボラ出血熱 9COVID-19
供.侫薀鵐垢砲ける感染症予防モデルの歴史
1 1822年の衛生ポリス法 2 コレラと公衆衛生法 3 20世紀 4 21世紀   5 予防原則 6 COVID-19
掘ヾ鏡症予防の何が問題となるか
1 問題点はどこにあるか 2 予防接種と統治 3 破局論と決定 4 濫用の危険性 5 ミルの自由論 6 Jacobson 判決とポリスパワーの再考 7 6つの原則 8 備
え警告すること
  
第4章 隔  離

機)‥枠組
1 感染症法 2 新型インフルエンザ等対策特別措置法 3 検疫法(
供ヽ嵶イ亮蠡魁処遇・補償
1 入院(感染症法) 2 建物への立入制限(感染症法) 3 交通の制限・遮断(感染症法) 4 外出の自粛・イベントの中止(特措法) 5 隔離・停留(検疫法)
掘[髻 〇
1 コレラとクワーランタイン 2 ペストの成功体験 3 結核と保健所 4 GHQ 下の衛生政策の転換 5 らい病・AIDS と人権侵害 6 感染症法とSARS・MERS
検‘本の隔離法制と新型コロナウイルス
1 歴史の教訓 2 新型コロナウイルスの謎解き
おわりに
  
第5章 流言・デマへの対処と表現の自由:
法社会学からの分析
機,呂犬瓩
供[言・デマに関する法制度
1 刑事法・民事法 2 削除要請 3 流言・デマと表現の自由
掘[言・デマに関するアンケート調査とその分析
1 2013年調査 2 2014年調査
検々融,筏掴
  
第6章 パンデミック時の選挙問題

機.▲瓮螢の大統領選挙の日程と法的枠組
供〕夙選挙の延期と大統領選挙の郵便投票の期日延長の問題
1 ウィスコンシン州の選挙延期の問題 2 ウィスコンシン州最高裁の判断 3 連邦最高裁の判断
掘‖臈領選挙における郵便投票の期日延長をめぐるケース
1 ペンシルベニア州のケース 2 ウィスコンシン州のケース 3 司法のコミットメント
検〕絞愿衂爾寮非
後  序
  
第7章 マスクの憲法問題
序――新型コロナウイルスとマスク
機.泪好文化
供ヽ姐颪砲けるマスク着用禁止の憲法問題
掘”集醜坩戮箸靴討離泪好
検.泪好着用義務に対する反発
后.泪好着用を求める訴訟
此‘本におけるマスク着用義務の問題
1 日本におけるマスク規制 2 コロナ禍におけるマスク着用義務
後  序
  
第8章 緊急事態条項の問題
――憲法改正のコストベネフィット

機〃法学上の議論
1 緊急事態条項必要論 2 緊急事態条項不要論 3 緊急事態条項のコストベネフィット
供ゞ杁淹態の判断
1 公衆衛生上の緊急事態の判断 2 判断権者とその動機 
3 地方自治体の緊急事態宣言
後  序
  
第9章 日本型感染対策の憲法問題

1 日本社会と立憲主義の距離 2 コモンセンス 3 穏健型と個人 4 課  題
後  序
  
  
事項索引

Copyright © SEIRIN SHOIN All Rights Reserved.